やつれ疲れた悲しい顔
やっと四十九日を過ぎたばかりの頃だった。
それまで祭壇に置かれていたものを、お仏壇に移した。
遺骨も下の段に納めて視界に入らなくなった。
それは私に、ほんの気休め程度の安堵をもたらした。
あの、白い布が掛かった白木の祭壇が、嫌で嫌でたまらなかったのだ。
そんな時、自動車免許証の更新の葉書が届いた。
運転はしないが、身分証明として使うので、更新だけはしている。
前回の更新からもう5年も経つのだと思った。
息子が亡くなってから、時がたつのがとてつもなく遅く感じられ、
早く何年も過ぎ去ってしまえばいいのに、と思いつつ毎日を過ごしていた
私には、免許証更新の5年間は殊のほか短く感じられた。
しばらくぼーっと葉書を眺めていたが「そうだ、証明写真が要るんだった」
と思い、洗面所の鏡を覗いてギョッとした。
そこには、外見の美醜を超えた、とんでもなくやつれきった私が映って
いるではないか。
生気は全く感じられず、十歳以上も老け込んで見えた。
とうてい自分の顔とは思えなかった。
最も、無理もないのだ。
一人息子の自死という衝撃的な出来事に、
食事はほとんど摂れず、医療用経腸栄養剤を飲用し凌いでいた。
動悸もひどく、体重は目に見えて減っていった。
それでも毎日鏡は見ていた筈だ。
それなのに、なんであの時まで気づかなかったのだろう?
きっと、ただ漫然と鏡に向かっていただけで、
はっきりと意識して見てはいなかったのだ。
だからあの時、改めて自分の顔を見て驚いたのだ。
二年余りすぎた今、その時に更新した免許証を見てみると、
げっそりして貧弱な、魂の抜け殻のような私が写っている。
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