an-angel-3486-miyuのブログ

23歳の一人息子を自死で亡くし、独り遺された母が胸の内を綴ります。

あの駅には行けない

最寄りの駅から息子は旅立ってしまった。


三ヶ月程たったころ、やっと駅に行くことができた。
プラットホームを端から端まで歩いてみる。
涙はこぼれたけれど、
不思議と怖さは感じられなかった。


きっと真っ直ぐ天国に昇って行ったんだろうな。
あんなに心根の優しい息子のことだもの。


そう思えた。


乗降客の多い駅だからお花もお線香もお供えできなかった
けれど、本当はそうしてやりたかった。


今でも駅のプラットホームに立てば必ず息子に
話しかける。
どこから、どの場所から、天国にいったの?って。


だけど、息子が心の病で十八歳から亡くなるまでの五年間
通った病院がある駅には今も行くことができない。


いつも病院の送迎バスを待った駅。
ときには駅から歩いたこともあったっけ。


あの頃を思い出すと今でも涙が溢れる。


二人で通ったあの五年間はなんだったの?
なんで治らなかったの?


辛かったよね。
治してあげられなくてごめんね。


後悔ばかりが浮かんでくる悲しい駅。


この先


どんなことがあっても、


あの駅には行けない。


あの駅には行かない。





しぐさ

あの日の事は思い出したくない


ときには


それ以前も、それ以後も思い出したくない
頭の中をカラッポにしたくなる


でも


息子のことは忘れたくない
息子を忘れることなんて絶対にない



そういう意味じゃなくて




一緒にいた頃の


「ただいま」とドアを開けるときの


本のページをめくるときの


髪に手をやるときの


そんな


息子だけの
ちょっとした、しぐさ・・・




忘れたくない

同窓会の写真に思う

先月下旬に何十年ぶりかの小学校の同窓会があった。


案内状は七月に届いていた。出欠はメールでとの事。


勿論私は欠席だけど、理由は何て書こう。


まさか「欠席します」だけでは送信出来ないし、あれこれ考えた
あげく「仕事に関するセミナーの予定が前々から入っていて
どうしても都合がつきません。残念です。皆様によろしく」と
書き添えた。


同窓会の日は、自死遺族のための大事な集まりがあって参加を予定して
いたので、まるっきり嘘ではなかったけれど、もし何も予定がなくても
出席なんかしないに決まっている。
息子が亡くなってしまったのに出席する気になるわけがない。
メールを送信するだけでも気持ちは沈み、憂鬱になっていった。



すると先日、


同窓会の写真を見せてくれると、親しい友人から連絡が入った。


その友人にも息子のことは話していないから、本当は私が同窓会に
出席したかったのだと思って、親切にも写真を見せに来てくれたのだった。




懐かしい顔が並ぶ集合写真、数十年ぶりとあって誰だったか思い
出せない顔もあったけれど、皆とても幸せそうで、私とは住んでいる
世界が違うように思えてくる。


出席している、その事は何とも思わないけれど、出席出来る境遇と
心境にあることが、正直羨ましかった。
少なくとも私と同じ形で子供を亡くした人がいるとは思えない。


「私は私、比べない」なんて自分に言い聞かせているのに、実際写真を
目にしたら、とてもそんなふうに考えられなかった。


これから先だって、息子が帰ってこない限り、私の境遇が変わる
ことはあり得ない。
変わるとすれば心境だけれど、少しずつ変わっていくのだろうか?


分からない。


でも、まだ仕方がないのかな。


今はまだ、比べたり、羨ましかったり、嫉んだり、そんなマイナス
感情も受け入れるしかないのかも知れない。
息子を失ったことの淋しさに耐えながら、やっと毎日を送っているんだもの。



ああ、だけど


こんな悲しい気持ちのままで生きていたくはないな。


もう少し、心穏やかに過ごしていける日はくるのかな。