an-angel-3486-miyuのブログ

23歳の一人息子を自死で亡くし、独り遺された母が胸の内を綴ります。

逢いたい

電車を降り立った時


ふと目に入った


忘れ物のビニール傘



なんでかな


急に


息子の姿が想い出されて...





逢いたいな





まだ・・・言えない

あの時、どうしても言えなかった。
息子の死が信じられなくて、
どうしようもなく怖くて、
誰にも知られたくなかった。


父親代わりの私の弟、母、叔母二人(母の妹)の家族
そして私の十一人で、葬儀を執り行った。
他の親戚は今も知らないでいる。


仕事で関わっている人には一切言っていないし
近隣の人たちにも勿論知らせていない。


でもこの頃時々考えることがある。


なんだか隠しているのが息子が生きた二十三年間を
無かったことにするような気がして・・・


それでも、まだ言えない。


親しい友人にも、


やっぱり言えない。



息子に聞いたら何て言うかな。


優しい息子のことだからきっと


「お母さん、無理に言わなくてもいいんだよ」って
言ってくれると思う。


でも、


私が分かってあげられなかったから息子は逝って
しまったと、どうしようもない気持ちでいるのに、


亡くなってからも申し訳ないことをしているのかな。



悪いお母さんだね。



ごめんね。
情けないお母さんで。



こんな弱虫なお母さんを許して.....


行きつ戻りつ

当初、まだ身の置きどころがないような気持ちでいた頃
電話相談をしたことがある。


確か「自責の念に押し潰されそうで、どうしていいか分からない。
この苦しさから何とかして逃れたい。どうしたら早くここから
抜け出せるのか」というような話をしたと思う。


その時言って頂いた言葉を、今でもはっきりと覚えている。


「行きつ戻りつですよ」と。


今それを身をもって実感している。


人が口にする些細な一言に傷つき、また癒されもする。


自死や生と死に関連する本を読んで、知らなかった事が書かれていれば
あの時これを知っていればと後悔もし、仕方なかったと自分を納得させる
ような文章に出会うこともある。


インターネットのニュース欄に、心の病気の新しい情報が掲載されていれば
医学は日進月歩で進んでいるのだと思い知らされ、息子がいる頃はまだ無かった
のにと落胆する。


といった具合に。


以前より幾分、動揺の幅はせまくなったような気はするけれど
毎日毎日、自分を納得させたり後悔したりを繰り返しながら
澱んだ川のように日は過ぎてゆく。


それでもまだ、思いがけず大きな後悔に囚われて深く落ち込むことがある。


そんな時「行きつ戻りつですよ」という言葉を感謝と共に思い出す。
そして、急ぐことはないよ、少しずつだからね、と自分に言い聞かせる。


だって心は、エスカレーターのように規則正しく上がってはいかないのだから。
自分でも儘ならないのが息子を想う心なのだから。


ショウくん、お母さんの「行きつ戻りつ」はまだ当分続きそうだよ。