言葉にするのは難しいけれど、息子にはどこか老成したような
雰囲気があった。
それでだろうか。多くの人が行き交う街中でも、息子に似た若者を
未だかつて見たことがない。
だから今のところ、彼らに妬ましさを感じることはあまりない。
彼らから息子を想起することがないといえばいいのかもしれない。
ところが、杖をついて足元もおぼつかなく、一人歩くお年寄りを
目にすると私の気持ちは一変する。
自分の行く末を見るような気がして心は落ち込み、しなくてもいい
妄想が始まる。
きっと、話す人も一緒に出掛ける人もなく独りで寂しく暮らしているのだ。
毎日笑うことも楽しいこともなく.....と次々と悲惨な状況が浮かんでくる。
冷静に考えてみれば、失礼な話だ。幸不幸なんて聞いてみなければ
分からないし、一人で歩いているのにニコニコしているほうが
よっぽど変なのだから。
でもやっぱり姿を見かけると考えてしまう。
二年余り前までは、私が失敗したり困ったりすると
「お母さんだいじょうぶ?」と何かにつけて気づかってくれる息子がいた。
「だいじょうぶだよ」と答えたり、時にはふざけて「大丈夫じゃなーい
どーしよー」と言ったりしたのを思い出す。それも今では懐かしい
思い出になってしまった。
何も、年を取ってから面倒を見てもらおうとは思っていなかったけれど
生きていてくれたらどれだけ心強かったことか。
自分でも分からないうちに息子を頼りにしていたことに気づかされる。
「子供の死はあなたの未来を失う」
という、グロルマンの言葉が身に染みる。その通りだと思う。
せめて私の目にしたお年寄りが、私の妄想とは違い生きがいを持って
明るく暮らしていることを願って、今日はもう眠りに就くことにしよう。