an-angel-3486-miyuのブログ

23歳の一人息子を自死で亡くし、独り遺された母が胸の内を綴ります。

沈む気持ち

言葉にするのは難しいけれど、息子にはどこか老成したような
雰囲気があった。
それでだろうか。多くの人が行き交う街中でも、息子に似た若者を
未だかつて見たことがない。
だから今のところ、彼らに妬ましさを感じることはあまりない。
彼らから息子を想起することがないといえばいいのかもしれない。


ところが、杖をついて足元もおぼつかなく、一人歩くお年寄りを
目にすると私の気持ちは一変する。
自分の行く末を見るような気がして心は落ち込み、しなくてもいい
妄想が始まる。


きっと、話す人も一緒に出掛ける人もなく独りで寂しく暮らしているのだ。
毎日笑うことも楽しいこともなく.....と次々と悲惨な状況が浮かんでくる。


冷静に考えてみれば、失礼な話だ。幸不幸なんて聞いてみなければ
分からないし、一人で歩いているのにニコニコしているほうが
よっぽど変なのだから。


でもやっぱり姿を見かけると考えてしまう。


二年余り前までは、私が失敗したり困ったりすると
「お母さんだいじょうぶ?」と何かにつけて気づかってくれる息子がいた。
「だいじょうぶだよ」と答えたり、時にはふざけて「大丈夫じゃなーい
どーしよー」と言ったりしたのを思い出す。それも今では懐かしい
思い出になってしまった。


何も、年を取ってから面倒を見てもらおうとは思っていなかったけれど
生きていてくれたらどれだけ心強かったことか。
自分でも分からないうちに息子を頼りにしていたことに気づかされる。


       「子供の死はあなたの未来を失う」


という、グロルマンの言葉が身に染みる。その通りだと思う。


せめて私の目にしたお年寄りが、私の妄想とは違い生きがいを持って
明るく暮らしていることを願って、今日はもう眠りに就くことにしよう。

想いを綴りたくて(遅ればせながらよろしくお願いします)

ブログを始めたのは、生前息子がやっていた事や趣味の中から
なにかひとつ、私にも出来る事がないかと思ったからです。


息子は高校時代は文芸部に所属していて、文章を書くのが好きでした。
特に旅のエッセイは好評でした。


文章なら息子への想いを綴ることが出来るし、一人で続けていけると
ブログを思いついたのです。


ところが、私はパソコンを全くと言っていい程使ったことがなかったので、
詳しい方が聞いたら笑ってしまうかもしれませんが、操作方法は勿論、
説明文を読んでも、何を言っているのかさっぱり理解出来ませんでした。


ですから登録するのも一苦労で、途中で何度か諦めかけたりもしましたが
サポートをして頂きながら、なんとか開設することができました。


恥ずかしい話ですが、今でも人差し指だけで文字入力しているので時間の
かかること!


また私は、息子と違って文章はあまり得意ではありません。
物事を順序立てて話すことや書くことが、とても難しく思われます。
だからこそチャレンジしてみようとも思いました。


息子の思い出や具体的なエピソードを書こうと思うと、
沢山の事がいっぺんに湧き上がってきて、何から書けばいいのか
分からなくなってしまうことが度々あります。


それでもそのうち少しずつ、幼い頃の事など、息子が生きた証を
文章にして、続けていきたいと思っています。


息子も「お母さん、ブログ始められて良かったね。頑張ってね」と
言ってくれていることでしょう。


最初にご挨拶もせずにブログを始めてしまった粗雑でそそっかしい
私ですが、これからもよろしくお願いします。






衝撃の後に

ドラマチックな人生など、望んでいなかったのに
とてつもない衝撃は突然やって来るのだとあの時知った。


息子が自ら命を絶ってしまったのだ。


多少の波風はあったものの、平凡だった私の人生は大きく覆された。
それまでの日常は消え去り、未来も軌道修正を余儀なくされた。


当初混乱のさなか、私は何を考えどう行動していたのか、今でも
朧げな記憶しか残っていない。


あれからニ年余りの間に私の身に起こった出来事を振り返ってみても
衝撃と呼ぶに値することは何一つなかった。


当然のことではあるが、息子の自死と照らし合わせてみれば
どれも皆「取るに足りない」ことに思える。


一生涯「取るに足りない」毎日で良かったものを。


しかし今あるのは、息子が亡くなり、私が生きているという事実。
突きつけられた現実に私は困惑する。


何事も無かったかのような顔をして世の中を渡って行けというのか。
自責の念を抱えつつ侘しく年老いて行けというのか。


課された運命の過酷さに私の心は疲弊している。